私は、私でいていいですか

〜にんげんのはなし〜人間関係、不倫、非行、鬱、全てのことに悩んでいるあなたへ

負の連鎖

 

そして私は、ありとあらゆる薬物をやりまくった。MDMA、覚せい剤ケタミン

 

そんな中、出会ったグループがいた。

歌舞伎町のホテルに拠点を置く

歌舞伎町1のプッシャー。

 

毎日、友達と2人でそこに居座ってた。

闇や孤独を抱えた人が集まってるその場は

ただただ居心地が良かった。

 

その中で、唯一惹かれる人と出会った。

なんでも話せて

なんでも理解し合えて

身体も求めてこない純粋な人だった。

 

でも、そんな日々が続く訳がなかった。

 

私と友達2人がいる部屋とは別のところに警察が来て、そのグループは一斉摘発。

 

後から聞いた話だと、その先に話した彼が、他の男が私のことを侮辱したことが許せなくてボコりまくってたところに警察が来て、

対象はそのグループを率いてるただ一人だったのにも関わらず、傷害容疑でその彼も一緒に連れて行かれてしまった。

 

別の部屋にいた私たちは

何事もなく外に出ることができた。

 

あの時、私があの部屋に行かさなければ、

って言う後悔がずっと残ってた。

孤独と自己喪失、そして依存

 

その詐欺みたいな会社を辞め、母と兄の元で暮らし始めて更生しようと思ったのはたった数日で、私はどっぷりと夜の世界とドラッグにハマる生活を送るようになりました。

 

クラブで出会った友達の家に居候し、

キャバクラで年をごまかして働き

男から金を引っ張り生計を立てる17歳。

 

起きて化粧してクラブ行って薬やって

寝て、キャバ行って、またクラブ。

 

 何も失うものがなかった。

でも毎日毎日、虚しくて

それを薬物とクラブで紛らわせてた。

 

時々家に帰ると

気持ち悪いと言われ

愛してくれる人もいない

なんで生きてるのかさえも分からない。

 

守りたいものがない人、

自分を大切にできない人が、

誰かに守ってもらったり

大切にしてもらえるわけがないのにね。

 

たくさんの人と出会った。

でも毎日、孤独だった。

 

 

そして、薬物との出会い

そんな時、その会社にバイトで来てた女の子と仲良くなりました。

 

金髪、ガングロ、濃いアイメイク、

あの頃流行ってたギャルでした笑

 

私はヤンキー気質だったので

ギャルもクラブも嫌いでした。

けど、その子がホントに素直でいい子で

仲良くなって、

今度一緒にクラブに行く約束をしてしまいました。

 

今はもうないですが、その当時1番流行っていたクラブ。

集合場所はそのクラブ横の駐車場。

クラブ初体験の私は久しぶりに緊張していました。

その駐車場で、みんなでヤンキー座りしながら円になり、ひとりひとりに綺麗なオレンジ色をしたラムネみたいなものを渡されました、

 

何の知識もなかった私は

これ飲めばきっとベロがオレンジ色になって

お酒をもらえるとかなのかなぁ?

なんて馬鹿なことを考えながら

なんの疑いもなくそのラムネみたいなものを飲み込みました。

無知って、怖いですね。

 

クラブに入って、そのバイト中にあれってお酒がもらえるとかそーゆー感じ?って聞いたら

えーw何言っててんの?w

ドラッグだよ!知らなかったの?

と、笑いながら言われ。

怖くてたまらなくなり、吐こうとトイレに入った瞬間でした。

 

たまらないほどの快感

感じたことのない体の軽さ

吐いてるのに気持ちいい以上な感覚

さっきまで感じてた恐怖なんて

もう一瞬で消え、

 

トイレから出た後の私は

お手軽なジャンキーに変貌してました。

 

それが13年前の初めてのドラッグ

MDMA、玉、というものとの出会いでした。

お金がない少女、少年が行き着く先

私が家を出て行ったことを

母が父に伝え、父がその会社に来ました、

 

そして、社長とも話した結果、

辞めろと言われました。

辞めないというなら力ずくでも連れ返すと。

 

そう社長に伝えたら

逃げろ、と言われました。

もう昔のことなので細かい言い回しは覚えていませんが、お前の味方は俺だと。

また父親の言うこと聞いて戻ったら

またお前は辛い思いするだけだろ、と。

何も知らないガキは、その言葉に乗せられて

自分の持ってる携帯も奪われ、

友達とも誰とも連絡とるな、

住む場所はこっちが提供するから、

父親のところには帰るな、

そして提供したその場所で

今までと同じように働けと。

軽い、監禁。

 

そりゃあ、社内一の稼ぎ頭をやすやすと手放すわけにはいかなかったんでしょうね。

 

そんな大人の事情も知らず、

元々家族から逃げたくてこの会社に行き着いた私には、社長に従うしかありませんでした。

 

すべて捨てて逃げた。

心配してその会社から離そうとしてくれた

親からも。

 

自分の携帯は社長に没収され

会社の携帯を渡され

会社の用意した部屋でひとり

友達とも会えずに

ひたすら毎日知らない人に営業の電話をかける日々。

時々社長が来ては

2000円渡されて生き延びてた。

すき家のミニ牛に何度救われたか。

結局、その2000円以上の給料が支払われることはありませんでした。

 

でもそれが、おかしいことだと思えなかった。

社長は、頭がおかしい家族から俺が守ってやると。

そういう言葉に弱い未成年の心をつかれて

洗脳されてました。  

 

結局私が原付の無免許運転でパクられ、

家裁に出頭しなきゃならないことになり

一旦家に戻ることになり、

その監禁のような生活から解放され、

その後その会社に戻ることはありませんでした。

 

もう十数年前のことだし、今更恨んでもいません。私が招いたことです。

 

ただ、子供を食い物にする大人は

今でもたくさんいるんだろうと思うと

胸が痛いです。

 

もし、ひとりでも、この記事を読んでる

誰のことを信じたらいいのか分からない子がいたならなんでも力になりたい。

 

食い物にされる前に

話し、いくらでも聞くからさ。

 

 

 

詐欺

 

その会社は、アポを取って会社に来てくれた人たちに、夢を持たせるサービスを謳いながら

それとは別途に60万円の英語の教材を買ってもらいローンを組ませる、という仕組みでした。

 

働いてる私たち側の仕組みは、

・電話でアポイントを取ったら◯点

・アポ取って会社に来てもらえたら◯点

・プレゼンしたら◯点

・プレゼンからクロージングまでしたら◯点

・プッシュ(クロージングまで行って渋ったお客さんに対して、詰めて結果契約してくれた場合)◯点

・アポからクロージングまでひとりですべてやった場合はすべての点を合計加算(100%)

 

というものでした。

私は16歳でありながらアポからクロージングまでひとりで出来る結構なやり手でした。

全部きちんと説明していたので、

当時は詐欺をしてるという感覚もありませんでした。

 

けど、

月何件も取った売り上げも

数分遅刻したからとか

寮の光熱費が高かったからとか、

訳わからない理由で支払われることはありませんでした。

新人賞取ったからフランスで授賞式があるから!と言われて喜んでたら、今回はなくなったとか。

 

16歳で家を出て、渋谷の寮に住まわせてもらって、仕事で結果を残した。

 

なのに私の財布には8円しか入ってませんでした。

 

自分も、詐欺にあってたんです。

 

渋谷で行き場のない少女や少年を

あの手この手で捕まえて、

ただコマにされてたんです。

 

馬鹿すぎて、そんなことにも気付くことができなかった。

 

 

 

非行から始まった世界

 

13歳から非行、問題行動を起こしながらも

当時付き合ってた彼氏と一緒に居たいからと

必死になって勉強して受験し、

無事彼氏と一緒の高校に受かることができた。

 

その高校は、渋谷を経由したところにあって 

弱い私はすぐその闇にのまれた。

学校から渋谷に行って、ドンキでパクったスエットに着替えて、制服はロッカーにしまってナンパ待ち。

 

ナンパされたらカラオケに行って

朝まで歌って飲んで

登校時間になったらスウェットから制服に着替えて学校に行く。

 

学校に行ったら、ただ寝てる。

酒くせえと同級生に言われながら。

先生に何か怒られたら

机蹴っ飛ばして暴言浴びせる始末。

同級生には本当迷惑かけたと思ってる。

ごめんなさい。

 

ただ、家に帰りたくなかった。

家庭に対する怒りを

不器用に外で発散してた。

万引きすることも飲酒も喫煙も

なんにも悪いと思ってなかった。

けど、パクられたら必ず母はむかえにきてくれた。

まさか自分の娘がこんなことになるとは思わなかったと、そう言われた。

 

そして高校に入学して10ヶ月で私は退学処分になった。

理由は色々あったけど、最終的に友達のしたことを全部私のせいにしていいよってことにして

その結果、単位もクソもない退学処分になった。それに対しては何も後悔はない。

 

16歳ニートの私はまだ渋谷をフラフラしてた。

そしたら、あるスカウトにあった。

「月18万必ず稼げて、渋谷の寮も用意する」

家にもいたくなくて、お金も欲しい私には

最高の条件でしかなくて、すぐ受けた。

 

なんの仕事なのかも知らずにね笑

 

結局、それは

 

その当時まだ流行ってたテレクラとかから番号を入手して、手当たり次第電話をかけて

アポを取って会社に来させて、プレゼンして、結局英語の教材を売りつける仕事でした。

 

何も知らない私は、ただひたすら稼ぎたくて

誰よりもその仕事を頑張って

営業成績ナンバーワンになりました。

 

なんの努力も結果も残したことがない私が

初めて自分の力で掴んだ成績でした。

 

けど、それもすべて

汚い大人の手中にハマっていただけでした。

 

 

 

 

 

 

機能不全家族

最近知った言葉。

そして、私の家族はそうだったんだと

最近気づいた。

 

機能不全家族

 

ネットで検索したららいくらでも出てくる情報なので、詳細は割愛します。

 

私は、1986年生まれ。

バブル期の頃に生まれ、

バブルが終わる頃に思春期を迎えました。

 

父は成金でしたが、

自分一人で財を成し、私が小学生の頃は

お手伝いさんがいて、

送り迎えしてくれる運転手さんがいて、

海外に豪華な別荘を持つほど

結果を残した人でした。

 

私も私立の学校に通い

お嬢様と呼ばれる生活を送っていました。

 

けれど、ある日を境にその日々は終わりを迎えました。 

 

何台もあった外車もなくなり

お手伝いさんも運転手さんもいなくなり

海外の別荘もなくなり

世田谷の一等地にあった家もなくなり

突如、日も当たらない暗い狭い部屋に移り

毎日ゴキブリとの戦いを繰り返すことが

当たり前になる家に住むことになりました。

 

その頃、両親が何を抱えてたのか

自分の家庭に何が起きているのか

まだ10歳だった私には理解できていませんでした。

 

けれど、これまでとは明らかに違う生活になったことは分かってました。

 

毎日両親は目の前で喧嘩を繰り返し

父が母を殴り倒すようになり、

母はアルコール依存症になりました。

 

私立に通ってた私と兄は公立に転校。

 

まだ子供だったけど

家族みんな、それぞれが

悩み苦しんでると感じてた。

 

けど自分には

何かを変えるとか

家族をつなぎとめるとか

そんな力がないことも、感じてた。

 

そんな時、

父の部屋から見つけてしまったものがありました。

棚の奥にしまわれた、

宛名もない、

出すこともできない、

ぐちゃぐちゃに丸められた

父自身の苦しみや不甲斐なさを文字にした手紙を。

 

“俺はどうしたらいい。

家族は俺のことを責めるばかりだ。

すべてがうまくいかない。

助けてくれ”

 

大好きで、誰よりも気高く

誰よりも強くて私たち家族を守ってくれる父が

 

助けてくれと叫んでた。

 

パパばっかり頑張ってたんだ

パパのこと知らなくてごめん

ママはなんでこんなにも苦しんでるパパの力になれないの?

パパこんなに苦しんでるのに

力になれなくてごめん、

でも宛のない手紙を読んだことは

誰にも話すことは出来なかった。

 

父が守りたかった

最後のプライドだと思ったから。

 

パパ苦しいの?とか話したところで、

子供の私に何も出来ることはないから

私はぐちゃぐちゃに丸まってたその手紙を

またぐちゃぐちゃにして元に戻した。

 

それから父と顔を合わせるたび

言葉にできない悔しさや悲しさを抱えた。

 

そんな父を酒によって罵倒する母のことを

大嫌いになった。

 

毎日繰り返される喧嘩

事業を復活させるために躍起なってる父

止まらない母親のアルコール依存

何もできない自分

反抗期の兄

 

ただただ

家族で仲良くしたいと願っても

もう無理なことも

私の居場所が家庭にないことも知って

私は逃げました。

 

13歳で、煙草にお酒に深夜徘徊して補導。

そんな私を、

お前のせいだと責任転嫁する両親。

私の非行のせいで殴り合って

結果、父は家を捨て外に出て帰ることはなかった。

 

大人になった今は、

父と母、兄もそして私も

それぞれ抱えきれない不安や怒りを抱えてたことは想像し、理解することが出来るようになりました。

 

でも、13歳、少女だった私には

そんな家族を理解することはできなかった。

 

なんで毎日ママは怒ってるの

なんで毎日パパは途方にくれてるの

なんで毎日兄は家族と向き合ってくれないの

なんで私のことを見てくれないの

 

ただ、そう感じてさみしくて

外にその寂しさを向けた。

 

機能不全家族

って言葉があの時あったならよかったのに。

 

あなたの家はおかしいよって

言って欲しかった。

 

でもうちの家族はおかしくない。って

非行に走るのも自分のせいにして

逃げた。

 

それが楽だった。

家族のせいにするよりも、

自分が悪いって思うことの方が。

 

今でも、誰のせいでもないと思う。

ただ家族それぞれが

機能不全だった、それだけ。

 

そんな家庭で

まともな思考や行動が出来る訳ない。

余程強い人間だったら、別の話かもね。

 

けど私は弱かったから、逃げた、

全部自分のせいにして

自分のことも他人のことも傷つけて。

 

誰か殺してくれと

願い続けてた。

 

私っておかしいのかな、

うちの家族っておかしいのかな、って

少しでも思うことがあったなら

ネットにたくさんチェックシートがあるので

試してみてください。

 

自分が辛いことを自分のせいだと苦しまないでほしい。

 

自分が弱い人間だと自分を責めないで欲しい。

 

事実や根本的な本質と向き合うのはとても労力がいること。

 

けど、それをしないで自分を責めて生き続ける人生なんて、もったいない。

 

どうしても伝わらない

伝える術がない

伝える勇気がない

 

ならもう逃げて。

逃げて逃げて逃げて。

 

私も未だ、その逃げる途中です。