私は、私でいていいですか

〜にんげんのはなし〜人間関係、不倫、非行、鬱、全てのことに悩んでいるあなたへ

「わたしと乗り物」

今週のお題「わたしと乗り物」


今の私の乗り物。

それは  “タクシー”


ディズニーランドに行くのも

少し離れたところに行くのも全部タクシー。



でも以前はそんなことはありませんでした。


満員電車でサラリーマンと肩を並べもみくちゃにされながら揺られるあの電車も


たまたま隣にいた人が電車に揺られ眠気に負けて肩に頭を預けてからあの光景は


とても好きでした。


でも嫌いになった。


人混み、それぞれの個から発散されてるマイナスなエネルギー、痴漢、前までは気づかなかっかた様々なことに気づき始めて


公共交通機関が嫌いになりました。


だから今は出来る限りタクシー。

そして、.タクシーの運転手さんて

今まで知らなかったことを教えてくれるんです。


海底トンネル、首都高速の橋の話しetc


だからわたしはタクシーが好きです。

タクシーの運転手さんは

たくさんの道と人を見てきてる。

そんな話を聞くのが

楽しみな今日この頃です。

母の死

ママ。

お母さん。

母ちゃん。

 

この世の全ての人には

自分を産んでくれた人がいる。

あなたのお母さんは、どんな人ですか?

 

私のママは、美しくて

お酒が大好きで、オシャレで、

テニスがうまくて

お好み焼きは天下一品で

でも不器用で、大切なものを大切にする方法を知らない人でした。

ただ愛情は誰よりも深い人でした。

 

そのママは

お酒を飲んで家のお風呂で溺死し

その生涯を終えました。

52歳でした。

あまりにも若すぎる突然の死でした。

 

そのときのわたしは…20歳。

大学も高校も出ていません。

 

世でいう半グレみたいな暮らしを続け、

大体の犯罪を犯し、警察のお世話になり、

収監される暮らしを送ってました。

 

20歳の誕生日プレゼントは

留置所の中で密かにもらった

わかめのお味噌汁。

 

クソみたいな生活。まさに。

そんな生活を送っていた中、

私の母が死にました。

私が東京拘置所に収監中に。

 

先週笑って、また面会に来るね、と

あなたが出たらまた家族で再出発しようね

と言ってた、あの母が。

 

 死んだ。

 

それを告げにきたのは、私の兄でした。

一度も面会にも来なかった兄の最初の面会で

母の死を告げられました。

 

「死んだ。母さん。」

 

人生で、なりふり構わず泣き叫ぶことって

経験したことありますか?

 

私はこの時初めて、泣き叫びました。

心が爆発してしまいました。

 

30分の兄との面会時間を終え、

房に戻る時も泣き叫んでいました。

その時、看守さんに言われた言葉は一生忘れません。

 

「あんたが悪いことしたから死んだんやろ」

 

あの時心を失いました。

そうだ。私のせいだ。全部全部。

ならいっそ殺してくれ殺せよ!と

暴れまくって看守に泣き叫んでました。

 

独房に入れたら自殺してしまうかもしれないからと強制的に雑居房に入れられ

その雑居房の仲間たちに

励まされ寄り添ってくれ

少しだけ心が落ち着きました。

 

ただ私はその時上告中で、未決勾留の身でした。(刑務所に行くのか釈放なのか分からない状態)

 

事情を話し弁護士に取り合ったところ、

未決であればまだ特別措置として、

お葬式に出ることが出来るということで

兄と弁護士が動いてくれて

お葬式の前日に一時釈放、

その翌日にまた自ら出頭するという形で

母のお葬式に参列することはできました。

 

「必ず出たら、また家族3人で頑張ろうね」

「あなたのこと、ずっと待ってるよ」

「あなたの人生はこれからよ」

先週、そう言ってたじゃん。

なんで?なんで?なんで

ママ死んだの?

酒飲んで風呂で溺れたって。なんでよ。

前から私言ってたよね

酔っ払ってお風呂はいらないで、って。

なにしとんの

これからだったんちゃうんか

なに勝手にひとりで死んでんの

 

私がこんなことになったから?

そばにいれたなら

あなたは死なずに済んでた?

ごめんねごめんね

 

ママじゃなくて

私が死ねばよかったのに。。

  

と、ずっとお葬式を終えまた収監され、収監中から釈放されるまでずっとそんな想いと戦って、自分も死にたい衝動と戦っていました。

 

でももうどうすることもできない。

ママは帰ってこない。

私は私が犯した罪を償い

ママが思い描いていた道をきちんと

歩んでいかなきゃ。

そう決めてこれからの道を歩む決意をしました。

 

最後に私がママに話したことは今でも覚えてる。

 

「ママ綺麗だね」

 

母と娘って、普通に生活してると

喧嘩したり反発したりするもの。

私はその面会の時、初めてママの顔を

ちゃんと見た気がする。

 

その顔は誰よりも綺麗だった。

それが私とママの最後の記憶。

 

温泉に連れて行きたかった。

お酒を飲みながらあーだこーだと話をしたかった。

夫婦とはどういうものなのか教えて欲しかった。

私が子供の頃のことを教えて欲しかった。

 

そばにいてほしかった。

 

 

 

今もたくさんのことと迷い戦いながら

生きてる私だけど

ママのことを忘れたことはありません。

 

ママが生きたかった、今を。

思い描いていた、今を。

大切に生きていきたい。

 

産んでくれて

ありがとう

 

愛してくれて

ありがとう

 

誰よりも会いたい人へ

 

不倫

 

サザンの名曲も然り

久保田利伸の名曲も然り

今流行っているドラマも然り

許されるはずのない、許したくないことが

なんでこんなにも世間には溢れているのでしょう。

 

私の夫は、20代の若いモデルの女の子と不倫をしていました。

 

半年間。

普通に私に笑いかけながら

子供を抱きしめながら

若い女のことも抱きしめていました。

子供が病気にかかり入院した時にも

夫は私に全てを任せた上で

仕事の付き合いと言い切り、

その女と海外で楽しいことをしていたそうです。

 

現実から逃げて、

ただ楽しいことだけを共有する相手と南の島でらんでぶー!

 

さぞ楽しかったでしょうね。(皮肉)

 

不倫されたことよりも

わたしはただ

夫の「現実」にしかなれない「妻」

という立場にいる自分を悔やみました。

 

なんならその女になりたいと思った。

夫に現実の世界を忘れて

夢を見させてあげる存在でありたかった。

 

でも、妻になった以上

妻は現実でしかないんですよね。

 

結婚に対しての想いや考え、覚悟は

十人十色だと思います。

 

好きな人と出会って結婚した。

なんとなくタイミング的に結婚した。

世間的に社会的にとりあえず結婚した。

 

結婚に至る経緯は人それぞれ。

 

このブログを通りすがったあなたは

結婚してますか?

結婚したいと思ってますか?

結婚に対してどんな価値観でいますか?

結婚してセックスレスになったら

あなたは他の女性、男性と不倫しますか?

家庭で癒されない虚無感を、他で補おうとしますか?

 

三者三様。

 

男と女が何年も一緒にいて

最初の頃と同じように求め合うなんて無理なんだと思います。

ましてや子供が出来たらなおさら。

 

子供が出来て夫婦から初めて家族になる。

私は彼と家族には、なれませんでした。

 

「家族になる」ってなんなんだろう。

またのらりくらりと書いてみたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

今の わたし

 

初めまして。

私は33歳で一人の子を持つ母であり、

稼ぐ能力が長けてる夫の甲斐あって

裕福な生活を送らせて頂かせている

ただの専業主婦す。

 

結婚生活8年目を迎えようとしていますが、

夫の度重なる不倫やら、価値観の違いやら

なんやらなんやら

毎日離婚か現状維持するかと悩む日々。

 

そんな時にそんな不安をひたすら

YouTube霜降り明星の漫才を見ながら癒されている今日この頃であります。

 

はい、いまわたし、疲れてます。

もう全部ほっぽりだして逃げたい。

 

なんで疲れてるのかも

なにに対して疲れているのかも

自分がどんな人間だったのかも

もうよく分からないほど。

 

この何ヶ月間で追い込まれてきました。

 

あのピンチを振り返る

初めてのはてなブログ投稿、

とりあえず今週のお題から始めてみましょうか。

 

〈あのピンチを振り返る〉

 

私は東京生まれ東京育ちの、あの偉大なラッパーのような生き方を経て、先日33歳の誕生日を迎えました。

来年小学生になる娘を持つお母さんであり、

ひとりの男性の妻であります。

 

なんとなくこのはてなブログを始めてみたところ、

あのピンチを振り返る!というお題があったので、

まずそこからお話ししていこうかと思います。

 

 

ピンチとはなんぞやと調べたところ

さしせまった事態や危機のことを指すようですね。 少し過去のことを思い出してみます。

 

story1 〈親に殺されかけた〉

16歳。グレまくっていた頃、たまたま母と兄が住む実家に帰ったところ、お前みたいな気持ち悪い娘は帰ってこなくていい!顔も見たくない!と言われ喧嘩に。

母に首を絞められ、もう少しで私死ぬわと思ったら

「あんた殺したら私が犯罪者になるから殺すのやめる」

と言われ、母は自室に戻り私は殺されずに済みました。

本当に死ぬな私と思ったピンチから抜け出した最初の経験。

 

story2 〈監禁〉

ストーカー男に付きまとわれ、歌舞伎町のカラオケボックスに連れ去られ、身分証全て取られ、ここから出たらお前を社会的に潰してやると脅され監禁される。

 

脅され監禁されたことよりも

公衆の面前で行われてる暴力に対し

誰も止めても助けてもくれなかったことが

暴力というものはそれだけで

人を恐怖に陥れるものなんだと感じてました。

 

そう思ったらそれに支配されたくなくて

こんな馬鹿みたいな恐怖に操られることがただ馬鹿らしくなって、逃げようとした。

その結果、公衆の面前で息の根を止められそうになる。

周りにいる人は誰も助けようとはしてくれない。

当たり前ですね、知りもしない人間を命に代えてでも助けに行かなくちゃなんて

とんだアメコミのヒーローですわ。

 

でもそいつは人殺しになる覚悟も

出来てなかったのか

ストーカー男は自らその手を離し、俺の言うことだけ聞いてたらいいと放った。

暴力で支配する典型的なDVストーカー野郎。

男の力には敵わないと、女1人で戦ってきた私の自尊心を失くすには十分な出来事だった。

もう闘う気力も失ってしまったその時

私のことをよく面倒見てくれるお兄ちゃんみたいな人がたまたまその場に来て、そのストーカー男と話を付けてくれ、

監禁から解放され、ストーカーもなくなり。

まさに、ピンチから救ってもらった忘れられない思い出。今でもその助けてくれたお兄ちゃんみたいな人のことは、ヒーローと呼んでいますw

 

 

もう16年も前のことを文字に起こしてみた。

ひどい世界で生きてたなぁ、なんてしみじみ。

見なくてもいい世界を見てしまった。

 

 

子供が、自分が、非行に走ってしまって悩んでいる。

自分がどう生きたらいいのか分からない。

犯罪や裏社会から抜け出せない。

周りに認められたい。

生きるのに疲れた。

変わりたいのに変われない。

大切な人を失った。

虐待を受けた。

大切な人を大切に出来ない。

自分を受け入れられない。

 

今挙げた言葉は、私が昔からずっと悩み苦しんでいることです。

 

もし同じような方がいらっしゃったら

共有したいなと思いブログを立ち上げ、昔からのことをこれから書いていきたいと思っています。

 

とりとめのない文章になると思いますが、

お付き合いください。