私は、私でいていいですか

〜にんげんのはなし〜人間関係、不倫、非行、鬱、全てのことに悩んでいるあなたへ

母の死

ママ。

お母さん。

母ちゃん。

 

この世の全ての人には

自分を産んでくれた人がいる。

あなたのお母さんは、どんな人ですか?

 

私のママは、美しくて

お酒が大好きで、オシャレで、

テニスがうまくて

お好み焼きは天下一品で

でも不器用で、大切なものを大切にする方法を知らない人でした。

ただ愛情は誰よりも深い人でした。

 

そのママは

お酒を飲んで家のお風呂で溺死し

その生涯を終えました。

52歳でした。

あまりにも若すぎる突然の死でした。

 

そのときのわたしは…20歳。

大学も高校も出ていません。

 

世でいう半グレみたいな暮らしを続け、

大体の犯罪を犯し、警察のお世話になり、

収監される暮らしを送ってました。

 

20歳の誕生日プレゼントは

留置所の中で密かにもらった

わかめのお味噌汁。

 

クソみたいな生活。まさに。

そんな生活を送っていた中、

私の母が死にました。

私が東京拘置所に収監中に。

 

先週笑って、また面会に来るね、と

あなたが出たらまた家族で再出発しようね

と言ってた、あの母が。

 

 死んだ。

 

それを告げにきたのは、私の兄でした。

一度も面会にも来なかった兄の最初の面会で

母の死を告げられました。

 

「死んだ。母さん。」

 

人生で、なりふり構わず泣き叫ぶことって

経験したことありますか?

 

私はこの時初めて、泣き叫びました。

心が爆発してしまいました。

 

30分の兄との面会時間を終え、

房に戻る時も泣き叫んでいました。

その時、看守さんに言われた言葉は一生忘れません。

 

「あんたが悪いことしたから死んだんやろ」

 

あの時心を失いました。

そうだ。私のせいだ。全部全部。

ならいっそ殺してくれ殺せよ!と

暴れまくって看守に泣き叫んでました。

 

独房に入れたら自殺してしまうかもしれないからと強制的に雑居房に入れられ

その雑居房の仲間たちに

励まされ寄り添ってくれ

少しだけ心が落ち着きました。

 

ただ私はその時上告中で、未決勾留の身でした。(刑務所に行くのか釈放なのか分からない状態)

 

事情を話し弁護士に取り合ったところ、

未決であればまだ特別措置として、

お葬式に出ることが出来るということで

兄と弁護士が動いてくれて

お葬式の前日に一時釈放、

その翌日にまた自ら出頭するという形で

母のお葬式に参列することはできました。

 

「必ず出たら、また家族3人で頑張ろうね」

「あなたのこと、ずっと待ってるよ」

「あなたの人生はこれからよ」

先週、そう言ってたじゃん。

なんで?なんで?なんで

ママ死んだの?

酒飲んで風呂で溺れたって。なんでよ。

前から私言ってたよね

酔っ払ってお風呂はいらないで、って。

なにしとんの

これからだったんちゃうんか

なに勝手にひとりで死んでんの

 

私がこんなことになったから?

そばにいれたなら

あなたは死なずに済んでた?

ごめんねごめんね

 

ママじゃなくて

私が死ねばよかったのに。。

  

と、ずっとお葬式を終えまた収監され、収監中から釈放されるまでずっとそんな想いと戦って、自分も死にたい衝動と戦っていました。

 

でももうどうすることもできない。

ママは帰ってこない。

私は私が犯した罪を償い

ママが思い描いていた道をきちんと

歩んでいかなきゃ。

そう決めてこれからの道を歩む決意をしました。

 

最後に私がママに話したことは今でも覚えてる。

 

「ママ綺麗だね」

 

母と娘って、普通に生活してると

喧嘩したり反発したりするもの。

私はその面会の時、初めてママの顔を

ちゃんと見た気がする。

 

その顔は誰よりも綺麗だった。

それが私とママの最後の記憶。

 

温泉に連れて行きたかった。

お酒を飲みながらあーだこーだと話をしたかった。

夫婦とはどういうものなのか教えて欲しかった。

私が子供の頃のことを教えて欲しかった。

 

そばにいてほしかった。

 

 

 

今もたくさんのことと迷い戦いながら

生きてる私だけど

ママのことを忘れたことはありません。

 

ママが生きたかった、今を。

思い描いていた、今を。

大切に生きていきたい。

 

産んでくれて

ありがとう

 

愛してくれて

ありがとう

 

誰よりも会いたい人へ